禍の中で思うこと。

 

 

あーーーーー。

 

先に言っておくと、

この話に結論はないのです。

 

 

ただ、最近のモヤモヤを吐き出すだけ。

もしかしたら、

不快に思われるかもしれないな。

 

 

 

 

緊急事態宣言の発出が決まった。

そのことについて、

大賛成!!…というわけでも、

大反対!!…というわけでもない。

 

 

すべてにおいて、

 

なんだかなぁ。

どうにかならんもんかね。

 

…と、強く思う。

 

 

一見、他人事すぎるけども、

本当に、“どうにかならんか…”

としか、思えないのだ。

にっちもさっちも。

 

 

実際、宣言が出ることで、

 

“遊びに行けな~~い”とか

軽いものではなく、

 

本来あるはずの思い出が

失われてしまったり、

ずっと描いていた理想を

諦めざるを得なかったり、

 

人生が大きく変わってしまった人が

どれほど多くいるだろうか。

もうイイでしょ、コロナ、とも感じる。

 

 

だからといって、このまま

感染状況を放ったらかしにする

ことも、できないんだろう。

 

 

 

医療体制がヤバイから、

というのは もちろんのこと。

 

感染者が増え続ける国で、

世界各国の選手を招致して

オリンピックなんか出来やしない。

 

 

“オリンピックなんかより

 優先するものがあるでしょ”

というツイートも、見かけた。

 

 

いや、わたし自身、

東京オリンピックが決まった”

ということにすら、

 

“へ~~~~~、みんな観たいの?”

くらいの感想だったし

 

 

東京オリンピックより

東京事変の復活のほうが

よっぽど興味はあったけど、さ。

 

 

 

 

でも、オリンピックの経済効果って

すごいんでしょう?

 

あれだけ大きな競技場を建てて、

色々なところで色々な人が 

何年も前から準備をしてくれていて、

 

それが中止になんて なってしまえば、

それこそ 歴史的にも前代未聞で

大赤字で、大変なんでしょう?

(でも実際はどのくらいなのか、分かっていない。尊敬する社会の先生が仰っていたことを鵜呑みにしているだけだ。こういうこと、もっとニュースで言ってほしい。)

 

 

だから、国も必死なのだ。

 

きっと、みんな、分かっては、いるのだ。

 

 

それでも、どうしようもない状況や

鬱屈した気持ちを、誰かに

ぶつけたいだけなのだ、多分。

 

 

(いや、まあ細かく言うと本当に現場を分かっていない政策もあるから、それに対しての意見や文句はあるけどもね)

 

 

 

 

 

ただ……こんな風に嘆いておいて、

 

わたし自身は 

先週の数日間 原付で一人旅に出ている。

今しかない、と切に思っていたから。

すみません。

(何に対して謝っているのか、分からないけれど)

 

 

ほとんどがコンビニとビジホだったけれど、

ちゃっかり旅館に泊まって温泉に浸かり、

観光として街歩きを楽しんだ日もあった。

 

天気も荒れていたし、色々と事件もあった。

いつか しっかり書きたいと

思っては、いるのだけども。

 

 

 

考えられるのは、

「このご時勢に?」という反応。

 

個人的には、“一人”であることと、

“ことあるごとに消毒・マスクは徹底”

意識していたので、問題なかったと思う。

 

 

…それとも、自分が、そう思いたいだけか。

 

 

 

以前からも、

外出自粛とはいえ、映画館なら

感染リスクは ないのでは?とか

考えていたし、自分なりの

線引きがあったつもりだ。

元から、考えは変わっていない?

 

 

いや、それとも、気持ちが緩んだだけか。

初めのほうは

“一刻も早く感染者を減らしたい”と思って、

あらゆる接触を絶っていた。

前なら、こんな旅も出なかったはず?

 

 

“お前みたいなヤツが感染を拡げるんだ”

“いえ、感染対策は徹底しています”

“そうやって今も感染者は増え続けてる”

“でも感染リスク低いところで

 経済を回していくべきでしょ”

 

 

頭の中で、いろいろな意見が

渦巻いていた。

 

 

 

 

 

それと先日、ライブを観に行った。

 

世間では、“ライブ”というと、ひとえに

観客席で叫び、もみくちゃになっている

イメージが強いことに、驚く。

 

 

実際は、数十人の観客も

距離を保ってマスクをし、

少しばかり体を揺らしながら、

おとなしく聴き入っているだけだった。

 

 

 

それに比べれば、たった数人でも、

食べたり話したりする方が

よっぽど感染リスクは高い。

 

 

 

 

 

 

しかしながら、“みんな”が、

“コレは大丈夫だから!”と

大手を振って出かけ始めると、

感染対策が緩んでくるのも明らか。

 

 

だから、自粛の必要がある。

分かっては、いる。

 

 

 

ということは、

“自粛”をしていない人が

非難される理由としては、

 

それがたとえ 実際には

感染リスクの低い行動だったとしても、

 

“みんな我慢してるのに!”ということ、

なのかな。

 

 

その 周りの目を怖れる気持ちが

人一倍強い日本だから、“自粛”だけで

最初うまくいったんだろうな、とも思うし。

 

 

 “コロナとうまく付き合う”って、

一体どういう生活が正しいのだ?

 

 

 

結局、自分のしたいことに対して

言い訳をしているだけにも思える。 

醜いな、と考えてしまう。

 

 

それでも、ある程度は

経済回していくべきなんじゃ?

 

 

そういう意味で、

“まん防政策”は、中途半端ではあれど

考え方には賛成だった。

これも、よくは分かってないけど。

 

 

 

昨年、リーマンショック以来初めて、

自殺者の数が増加したらしい。 

これはニュースでは あまり聞かない。

報道も、誘導したい方向の情報を選ぶ。

 

 

 

だから、何が正しい情報かも分からない。

 

 

 

コロナで亡くなる方と

経営難などで亡くなる方、

どちらを選ぶ?

そもそも、その情報も正しい? 

 

 

 

いっそのこと、初めから

「コロナとか どうでもいいしな!」と、

100%割り切れていたら、楽だったか。

 

 

もはや、“コロナも政策も、

何も気にしてない”という人を

責める気にはなれない。

清々しいとさえ思う。

 

 

 

 

でも、“自粛疲れ”という言葉には

バカバカしさを感じてしまう。

政策を批判して、遊んでいる間にも

現場は苦しんでいるんだぞ。

 

 

 

…と、自分の中の矛盾に対峙して、

勝手に疲れているだけである。

 

 

 

 

 

みんな、どうなんだろう。

 

 

そういう鬱々とした思いが、

 

「早くみんなで前みたいに

 ワイワイできるようになりたいね」

という会話に込められているんだろうか。

 

 

 

今の日本ではまだ、

祈りのような言葉だけど。