子どもなんて、と思っていたけど。

 

一昨日が暑かったために、昨日オットは
半袖半パンで出かけていった。(5月)
所用があり、電車で梅田。
(周りに同じ服装の人がいなくて)
「ファッションの最先端にいるみたい!」

と、連絡がきた。
真似できる芸当ではない。

 

 

 

 

 

ここ最近は本当に時間があるから、
ずっと気になっていた映画やドラマなんかも
突発的に観られて、嬉しい。

 

 

永い言い訳』を観ました。

“妻が死んだ。これっぽっちも泣けなかった。
 そこから愛しはじめた。”

 というのがキャッチコピー。

 

西川美和という女性が原作・脚本・監督
すべてを手がけている作品なんだけど、
個人的に 男の人の映画だな、と思った。
ていうか、あれかな、
男の人に観てほしいという、
ただの願望なのかもしれない。
妻を亡くした、2つの家族の話。

永い言い訳

永い言い訳

  • 発売日: 2017/02/16
  • メディア: Prime Video
 

 

 

映画の本筋とはきっとズレた感想に
なると思うから、あらすじは省きます。


観ているなかで、自分がこれまで
“子ども”に対して抱いていた気持ちが、
明らかに変わったシーンがあった。
(ここでは 自分の子ども、という意味で)


だから、書いておきたい。

 

 

物語の終盤、竹原ピストルが演じる父の
トラックの助手席に、息子が乗り込むところ。

 


この父なら…
「何話してたんだよ~、お前」
とか、
「お前はホントよく分かんねえヤツだよな~」
とか、
そういう感じの言葉をかけてそうだ、
という想像をしたところで。

 

 

ああ、
オットも子どもも、結局は
“よく分かんねえヤツ”だよな、と気付いた。

 

 

“子どもには子どもの人生がある”という
言葉は 今までもいろんな場面で聞いたし、
もちろん そうは言っても
“親には子どもの人生について
責任がある”ことも、分かっている。

 



昔読んだ、川上弘美の短編「aer」
という話の一節にも、脅されたことがあるし。


“一度この世に存在してしまったアオは、
 順当にゆけばわたしよりも長く
 この世に存在する。
 つまりわたしが生きている間
 アオがいなくなることはないのである。
 まいった。知らなかった。
 考えようとしなかった。”

 

“アオ”というのが、この話の中での子ども。
自分が生み出した 子どもという存在は、
通常、自分の人生に一生付きまとう。
(それが望ましい形なのだ、もちろん)

 

わたしは、自由な時間を
たぶん心底愛しているから、
そんな存在が生み出されることに
とても怖さを感じる。

 

だから正直、願望もなく。

 

 

ドラマ『コウノドリ』を観ても
「実際にできたら、母性ってモンが
 でてくるんでしょうね…まぁ、いつかはね…」
という気持ちになるのが精一杯、という
ぐらいだったのですが。

 

 

自分の子どもと言えど、結局は
よく分からない一人の人間なんだ、
と思うと、逆に気が楽になった気がする。

 

 

いま、よく分からない男の人と二人で
“夫婦”として、なんとか生活している。
それが、一人二人と増えて、
“家族”として共同生活をしていくだけなんだな。

 

 

それは、絶対に億劫ではあるけど。

 

 

自分が生み出した人間が、
どんなふうに成長していくのか、
そばで見守り育むことができるとは。
興味深くて、面白いことかもしれない。

 

 

初めて、しっかりと心から
「子ども、欲しいな」と思えた。

何がキッカケになるかは、
分からないものですな。

 

 

まあ、「いつかね」というのは
まだまだ変わらない話ですが。

 

 

 

まわりで、ご懐妊・ご出産の
おめでたい話が、ちらほらと。
本当に心から、おめでとうございます。
ご成長、楽しみですね。