「すべてはゼーレのシナリオ通り」になった方が良かったのではないかと思う時がよくある

 

 

日々の生活と犬様のお世話に

夢中になっていたら、気が付けば

前回から2ヶ月以上経ってしまった…

 

 

ちょいちょい覗きに来てくれている方が

幾人かいるようで、嬉しい。

(アクセス数だけは、分かるのだ)

 

ずっと…忘れないでいて…(自己顕示)

 

 

 

 

 

 

 

『シン・エヴァンゲリオン劇場版』を観た。

(ネタバレ含むと言いたいところだが、理解できていない部分が多すぎるし考察ありきの作品だと思うので、読んでしまってもさして問題はないのが実情)

 

 

劇場で鑑賞し終わってから、
ずっと書きたかったことがある。

 

 

 

できればもう一度観に行きたかったの

だけれど、タイミングがなかった。

(速攻アマプラ解禁だったので、再度観た。)

 

 

 

 

 

とりあえず、

めちゃくちゃ薄い感想を言うと

 

 

碇ゲンドウ可愛すぎるだろ……///

 

 

 

この男の全ての目的は

「ユイ(妻)にもう一度逢うこと」

 

 

 

「このオジさんキモイ」という

ツイートも見かけたが…笑笑

(そして仰る通りである)

 

一周回って、いじらしくって仕方がないわ。

 

 

 

もしも願い一つだけ叶うなら

君の側で眠らせて どんな場所でもいいよ

 

 

 

 

エンドロールの

宇多田ヒカルが最高なのは自明だが、

 

One Last Kissもbeautiful worldも、

私にはゲンドウの曲にしか

聴こえなかった。。。

(マリの曲だという説もあったが…色々ね)

 

 

 

エヴァキャラでの推しは?」

そう聞かれたなら、

間違いなくゲンドウです。

 

 

 

 

 

…いや、ウソ、やっぱアスカかな。

 

 

 

(とか言いつつ、今まで「それエヴァやんw」とネタにすることはあったものの、実は一度も観たことがなかった。ただずっと観たかったので、劇場公開前に長期の休みを利用してアニメ版から一気見したという、いわばニワカである。エヴァのことを語るのは、非常に危険だ。謎が多すぎる上に、長年のファンとは歩んできた歴史が明らかに違う。別のオタクをやっているので、そのあたりの微妙な空気感は分かる(つもり)。よって、込められている深い意味などについては、考察班に任せておくことにする。)

 

 

 

違うんです。

書きたいのは、そんなことではなく。

 

 

 

 

「ゼーレ」の目的である、

 

人類補完計画」の夢は、

あながち否定できないのでは?

ということ。

 

 

 

人類(もとい、生命体?)が、

全て融合されて

一つの精神体のような存在になる。

 

そうすれば、

喜怒哀楽もなくなるかわりに、

意見の相違や争いもなくなる

 

 

 

 

 

 

シン・エヴァを観終わったとき、

 

 

 

『アライブ -最終進化的少年-』

 を思い出したし、

(あらすじ(一部ネタバレ):進化の末に肉体を捨て精神体になった生命が飛来してくる。「それ」を宿して能力者になった者と、「それら」を統べる「心臓」「御霊」の存在。そして人類は…)

 

 

 

 

また ”綺麗で完全なものに

生まれ変わる”という点では

 

風の谷のナウシカ』やん…

とも思った。

 

庵野監督がナウシカに携わっていたと知ってから、やはりどうしてもナウシカ寄りに考えてしまう部分はある。単に自分がナウシカを崇拝しているからであり、他の庵野作品を知らないからでもあるが、まったく遠いというワケではないと思っている。大地の浄化…とか言い出したらもうナウシカやん?)

 

ナウシカ愛について、詳しくは下記

edo-word.hatenablog.com

 

 

 

ようするに、

 

 

「違いを認め合えず、争いばかり起こす

 人間という醜い存在には嫌気が差した」

 

「だから、一つにしてしまおう」

 

「そうすれば、争いは起こらない」

 

 

という考えに行き着く人は

一定数いる、ということだ。

 

 

 

シンジの母親であるユイも、

そういう考えを持つ人間の一人

だったのではないだろうか。

 

 

(※エヴァの場合、ゼーレには「アダム系の使徒リリス使徒であるヒトが融合することで、永遠の命と知恵を持つ完全な生命体になる」という崇高な目的があるので、「争いを避けて」という目的ではないはず(ですよね?笑)だが、ゲンドウの発言からして、少なくともユイの意志としては後者を望んでゼーレの計画に加担していたのだと思っている)

 

 

 

 

 

いや~~~、もういっそ

一つにしてしまってくれ

 

と思う瞬間は、たしかにある。

 

 

 

 

この、コロナ禍では特に。

 

 

 

 

 

例えば

 

「ワクチンを早く打つべき!」

という意見が一つあったとして

 

 

 

「ワクチンなんて怖いものを

 打つ人の気が知れない」

 

「私は体質的にワクチンを打てない

 のに、そんなこと言われると不快」

 

「じゃあお前は ワクチン接種が

 進むように何か行動してるのか?」

 

 

 

こんな反論?がくる様子が

目に浮かぶ。

 

 

 

 

 

私がツイッターばかり

眺めすぎなのも、

一つの要因ではあるが…笑

 

 

 

 

 

 

そういうやり取りを

見ていると、気が滅入ってくる。

 

 

いや、人の黒い部分を見るのは

好きなんだけれども。

 

 

 

 

仕事でも、

「ああ、この人達は相容れないんだ」

と思わざるをえない時はある。

 

 

客「こうするのが普通でしょ」

社「いえ、我々のやり方はこうです」

客「納得できない、おかしい!」

社「やれることは全てやりました」

客(何で分からないんだ、最低な業者だ)

社(何で分からないんだ、面倒な客だ)

 

 

どちらも、間違ったことは

言っていないのだ。

 

こんな時は、なんともいえない

切ない気持ちになる。

 

 

 

 

人や環境によって、

「当たり前」「常識」は変わる

 

と、言葉にするのは簡単だが、

 

 

 

その考えに基づいて

冷静に日々を生きるのは難しい。

 

 

 

 

また、そんな世の中で、

 

その考え、間違ってますよ!

 

と他人を正せるようなことって

本当にあるのだろうか

 

 

 

 

全てが、”自分”の押し付けの

ように感じられてくる。

 

 

 

そういうことを考えていると、

 

違いなんて全くない、一つの存在に

なれた方が平和なのではないか…

 

 

と思えてくるのは たしかだ。

 

 

 

 

 

ただ、それを認めてしまうと、

現在の世界を否定することになる。

 

 

それこそ、世界規模のテロを起こす

団体が出てきても、おかしくない。

 

 

 

 

 

 

そしてまた、何が起こっても、

 

 

”ニアサー”後のシン・エヴァよろしく、

 

 

生き残った生命は、同じように

強く生きていくんだろうなと思う。

 

 

 

 

 

シンジも、母さんの望んだ世界ではなく、

いろいろな人間と生きていく未来を選んだ。

 

 

 

分かり合えないことで

気が滅入ることもあるけども、

 

 

これも面白いと思って、

生きていくしかないんだろうな。

 

 

 

 

人類は、「人類補完計画」がなくとも、

それぞれに補い合うことで生きている。

 

 

 

 

 

…あれ?

結局、アニメ版の結論もそうだったな。

 

 

 

アニメの「おめでとう」の時点で、

シンジはその考えに辿り着いていた。

 

 

 

 

 

使徒や父子関係は さて置き、

 

 

伝えたいメッセージは、一貫して

そういうことでいいんですよね?

 

 

ね!?庵野監督~~~~!