自分の魅せ方、について。

 

2週間ほど前、友人と
その人自身の価値について、という
話を少しだけした。
例えば、わたしの守備範囲で言えば
ポルノグラフィティ
(このブログで、ついに、とうとう言ってしまった…もっと満を持して名前を出したかったが、この話題で名前を出さないわけにはいかない)

 


元をたどれば楽曲が好きでファンになった。
でも今では楽曲に対するというより、もはや
岡野昭仁新藤晴一という存在に対しての愛です。
(急に全力で推す)

 

もちろん彼等はアーティストとしての
誇りをちゃんともっているから、
もちろん歌やギターや曲や歌詞を
称えることが、何よりの誉め言葉だと思う。


でも、人の好みは変わるし時代は流れるし、
その時々によって好きな音楽・聴く音楽
というのが変動するのは当たり前で。

 


ただ、15年以上も、息をするように
ポルノへ投資し続けてきたファンとして、
自信をもっていえる彼等の強みは…
圧倒的人柄の良さ


そこに惚れ込んでしまった我々にとっては、
もう、ポルノグラフィティ
生きてくれているだけで尊いし、
彼等の放つ言動すべてが愛しい、の領域です。

 

そこまでいったら、ある意味 負け。
なんでもかわいく見えちゃう。
歌詞を間違えても、良いこと言おうとして
MC途中でグダグダになってもね…。笑

 

 

ただ、二人の名誉のために言っておくと、
昭仁さんは数年前ボイトレに通いなおして
「昔よりも深み増して上手くなってません?」
という歌唱力を今なお身に付けているし、
晴一さんのソロって まじ並大抵の人じゃ
弾けない難しさなんですよね。ほんと。
だからこそアーティストとしても
尊敬の念をもって「かっこいい…」なれるワケです。

 

 

まあ、落ち着きまして…
要は。

人前に出て、人を味方につけるということは、
自分の魅力を最大限に出して
どれだけ自分自身の価値を上げていくか、


というのもすごく重要な部分なんだろうな、と。

 

 

もちろん、
本質的な部分が全くなっていないのに
表面的な物事で もてはやされることは、
ダサすぎるし、誰にとっても不本意だと思う。

まあ、そんなものならば
そのうち人は飽きて離れていきますが。

 

 

 

じゃあ、少し思考を切りかえて。


わたしの強みは何だろう。
わたしの価値はどこにあるのでしょう。

 

そんなことを考えながら、この間
映画「何者」を再び観るなどしたので、
それについては、また次に書きたい。

 

 

(いや、本当は今日、メインで「何者」について書くつもりだったのです。でもポルノについて語りだすと筆(キーボード)が止まらなくなったので、仕方がない。)

 

 

最後に岡野昭仁の人柄が存分に伝わってくる
Youtubeチャンネル、貼っておきます。
ぜひに。ぜひに。笑

 


DISPATCHERS -岡野昭仁@番外編-

 

 

大人は楽しい。

ついこの間、もはや世の中恒例の
グループ通話をしておりまして、
(実際、誰もお酒など一口も飲んでいなかったので、本当にただの“グル通”だった)

 

そしてブログの話題になり、
その場で初めてアクセスしてくれた友人Yが
わざわざ太字の部分を
丁寧に読み上げてくれそうになったので、
即座にストップをかけました。

言葉という点では同じでも、やっぱり
書く文章だからこそ素直に吐き出せるって
大いにあるんだな、まる。

 

褒められたり、興味がなさそうだったり、
照れたり、アピールしたり、しました。
はい。笑

 

 

ヒトリノ夜が今日で一応最後ということで、
強めのブランデーを、こんな時間に
“ちびちび舐めて”いる。
なんて書くと、「あら、イキッちゃって」
って感じではあるけども。ふっふ。
今日は なんか感傷的なので、
元々書こうと思ってた色々なこととは、
違う方向に思考が進んでいます。

 

率直に、歳を取るのって楽しいな、ということ。

ここ数年で、よく思うことであります。

 

生きているだけで、当たり前だけど
過去が積み重なっていく。
それで、不思議と、過去は美化されるという
昔からの定説。好都合ですなあ~。
(もちろん、忘れられない恨みや刻まれてしまったトラウマなんかは人それぞれあると思いますが…。)

 

 

今日、ドラマ『カルテット』を最終回まで
観ました。元々は薦められてて、
今頃になって やっと観始めたものなんだけど。
予想以上に自分のツボにハマった。

 

↓※読み飛ばしてください。
(当の薦めてきた友人Cに「見たで!」と伝えたところ「あんまりもう内容は覚えてないんだけどね」ということで、思っていた熱量と違っていたのでちょっと面白かった。彼女はきっと「私が好きそう」という点であれだけ薦めてくれていた、もしくは嬉しさのあまり私が「それは絶対見ないと」と思っていただけで、彼女は「オモロイよ~」くらいの程度だったのかもしれない?)

 

 

とにかく。登場人物、
みんなイイ歳した大人で
それぞれの過去を抱えてて、
でも“その人自身だけ”を見て、
みんな一緒に過ごしてました。

 

またドラマ自体についてもいつか
ちゃんと色々書きたいんだけど、とりあえず。

 

 

なんか、大人ってズルイよね と思って。

 

過去うんぬんの話になると、
この前の内容と少ーし通ずるけど。 

 

 

今まで十年、二十年以上生きてきたとして、
その間には必ず、その人なりに
一緒に過ごしてきた人や場所や物事があって、
それぞれに、思い入れの一つや
二つでも、あると思うのです。

 

 

それで、これから生きていく中で
その、人や場所や物事に触れるたびに、
それぞれの思い出に浸れるわけです。
しかも、言わなければ、誰にも知られることなく。

 

それって楽しいよね。

 

 

数年前まで、
「子どもの感じ方は何でも“初めまして”で、
 新鮮で良いよな、そりゃ~~。」
という考え方でしたが、んなワケあるかい!
それが、どれだけ大変なことか。


まあ、景色に対する感動や、
そういったことに対しては、別かもしれないけど。

 

 


人生というものにも慣れてきて、
「ああ、そういえばこんなこともあったな…」
なんて、自分だけの物語のページを
人知れずペラペラとめくり返して、
満足して、また閉じて。


(ああ、詩人気取りになってきてしまった、酔っぱらってる、また読みあげられてしまう)

 

 

大人は、人生経験があるだけ、
感傷に浸れる機会も増えて、おトク。

 

 

 

たとえば小さい頃、家族旅行に行った観光地で
もしかしたら母は、人知れず
昔の彼氏との初旅行を思い出して、
クスッとなっていたかもしれない。

ずるい!一人だけそんな隅々まで楽しんでたの!!
という思考に至るのは、
私がひねくれてるからなのかしら。


(ちなみに父に対して、そういう想像は及ばない。自分と似ているノー天気さからだろうか…それとも、母は“女”という一種の仲間として考えているからなのか…)

 

 

 

 

人生は短いとも言うし、長すぎる、とも聞く。
いや、でもこれから先の人生で
何が起こるかなんて分からないし、
そして起こったことを思い返して、
しみじみ浸れる未来もある。


まあ、大人になってからのほうが
泣きたくなる用件は増えたし、
実質、大変だと思いますが。

 

 

いまは東京事変の「私生活」を聴いて、
しんみりしております。
総てを、楽しめたらいいですね。

 

 

 

 

ていうか、大人っていつからかも、
わかんないけど、ね~。

 

 

 

 

 

結婚のハナシ。

今日は比較的まじめに、
バリバリと在宅勤務をしました。
(と言っても時間で言えば4時間くらいのもので、やっぱり各方面に怒られてしまうだろうけど、とにもかくにも)
えらい、えらいぞ〜。

 

 

2月に結婚をしました。
ツイッターでも 予想外に反応していただいて、
こんなに気にしてくれるんだなあと
嬉しくもなり。

 

「人生には3つの坂がある。上り坂、下り坂、
そして 3つめは まさか」
(この機会に見始めたドラマ『アンナチュラル』と『カルテット』の中で、偶然にも両方に使われていたので印象に残った。松下幸之助さんの名言なんだね。)

そう、まさか だね。

 

一周回って「一人でぜーんぜんイイや!」
みたいに思っていた矢先、
ひょんなことから出会って、
去年の夏に同棲が始まり、そんで入籍。

 

“「それに、人生なんて
誰のも混乱してるんだぜ、いつだって」”

(『ケイトウの赤、やなぎの緑』/江國香織

 

まじで、それな~~~~~。と思う。
勢い&タイミング。これに尽きる。

 

 

わたしは江國香織の作品を敬愛して
いるので、やっぱり考え方や価値観も
色濃く影響を受けている。

 

“「大切なのは、日々を一緒に生きる
  っていうことだと思うの。」”

“「一緒に眠って一緒に起きて、
  どこかにでかけても
  またおなじ場所に帰るっていうこと」”
(『スイートリトルライズ』/江國香織

 

 

好きな人には自分のことをすべて
理解していてほしいし、そうあるべきだと
思っていた時代もあったのだけど。

 

今の、オットといったら。

(”夫””旦那”という言葉に馴染めていなさすぎる。大学の友人N氏がツイッター上で奥さんのことを”ヨッメ”と呼んでいたけど、照れ隠しなのかネタなのか、分からないけど うまい表現だなと思う。)

 


本なんて読みやしない、
歌は好きでも歌詞はほぼ聴いていない、
文学的な話はきっと伝わっていない、


こんなはずじゃなかった、という感じである。

 

 

オットの知らないわたしの過去と、
わたしの知らないオットの過去があって、

 

オットが聞いても理解できないことを
わたしは沢山考えるだろうし、
わたしが聞いても理解できないことを
オットも沢山考えるだろう。 

 

こんな、わけの分からない人と
家族になっているなんて、不思議なものだ。

 

 

 

でも、イッテQとか見て爆笑しながら
二人で晩ご飯食べるの、ちょー楽しいです。

 

 

まあ、一年後に離婚かもしれないし
三十年後に離婚かもしれないし。

“あの世でもらう批評が本当なのさ”
(目抜き通り/椎名林檎トータス松本

ってやつなので、今は今で良しとする。

 

 

 

なんとなく、ウズウズする気持ちも
ありつつ、「ブログ始めてみた」の一言を
一番身近なオットには伝えないつもりでいる。
どうかな、我慢できずに言っちゃうかな。

バラしちゃったときのために、
こんな記事は早めに書いて
過去記事として埋もれさせてしまおう作戦、
でもあるのだ、はっはっは。

 

 

ちなみに今は、初めての単身赴任期間。
ヒトリノ夜、それはそれで、た~のし~~。笑

 

 

とうとう始めてしまった。

うーーん、ずっと
「ブログでも始めてみようかな~」なんていう
ぽわんとした考えは、一昔前から
頭の片隅にあったのですが。


なにぶん面倒くさがりと飽き性が
コラボレーションしている性格のため、
(実際、日記を書くことは小学五年生のとき挫折している)
「こういうのは、本当に文章を書き続けるのが
好きな人がやるもの」と思い、ブログ始めたい欲が
出てきても セーブしておりました。

いや、かの有名な”モバゲー時代”は やってたと
思うけども…黒歴史だろうな…

 

でも このところ、このご時勢で
幸か不幸か、時間ができて。
ブログを始める友達も出てきて。
(このまま私のような者が増えると、そのうち「外出自粛でブログ始める奴あるある」みたいなのがネタで出てくるのだろうから、先駆者には申し訳ないと思っているのだが)


ともかく、今まで歯止めをかけていた気持ちと対立して
「悶々と考えるのは やってみてからにしたラ~~?☆」
という妖精さんの囁きが聞こえてきたので、
とうとう、始めてしまった、のだ。
(どうでもいいけど”ようせいさん”と打ったら”要請さん”と変換されてしまった。時勢出てるな~。。)

 

 

 

しかしブログって、勝手にTLに呟きが流れてくる
ツイッターと違って、
読んでもらおうと思ったらわざわざページに
アクセスしてもらわなきゃならない
のが、
自分の中ですごくハードルが高い。
だから余計に歯止めかけてたところもあった。


私は少しばかり(?)ひねくれているので、
「自分の文章を読んでほしい」という
自己顕示欲を、認めたくなかったのです、ねぇ~。
ほんとに文章書くのが好きな人なら、
誰かに読まれるとかは関係ナシに、
いてもたってもいられなくてブログ始めてるやろ!
という脳内ポイズンベリー状態。
だからツイッターは丁度良いツールだった。
自然と目に入って、
「あ、わかる」「好きだな」と、ほんのり
思って
もらえればいいな、って感じで。


 

認めます!!!私は自分の考えを言葉にして
発信するのが好きで、
ちゃんと人に見てもらいたい!!
自分大好き野郎なんだァァァ~~~~ァァ…

今の仕事を選んだのも、そこに通ずる部分が
あったからだな、と思う。
割り切っちゃえば、恥ずかしいけどラクです。
生きづらいな。笑

 

いちど始めてしまえば、書きたいことも
けっこう思いつくものだ。そしてやっぱり、
文章にしていくと頭の中も整理されるから、良い。
社会が落ち着いて、業務が平常通りに戻っても、
続けていきたいものです。

今年一杯で仕事を変えるつもりでいるから、
そういうことを考える上での
メモ書きみたいなのにもしたい。

 

そして、ブログの良いところは、
ツイッターの逆を言えば「わざわざページに
アクセスしてくれた人だけが見る」という点ですね。
ツイッターだと「オメェ、SNSも公共の場だぞ、
発言は考えろボケが」と
思われてしまいそうなことも、
ここなら書ける
のでありますね。
(何を書くつもりなんだという話だが)

けなすためにブログを読みに来た人も、
まあそれはそれで江戸に興味をもってくれている
ということで…ヨシ。

 

 

とりあえず、アクセス数を気にしないで、
好きなことを書いて残して
続けていきたいなあと思います。
たまに見に来てやってください。

 

あー、恥ずかしい。笑